「リチャード・ジュエル」を観てきた

クリント・イーストウッドの作品にしては入り込みやすく理解しやすい作品だと思いました。「ミリオンダラー・ベイビー」のようにラストは安楽死だったのか、それが善なのか悪なのかというような難しい問いかけはありません。事実をもとにしたものですから、ストーリーの先は読めるし安心の中に観られます。

本題に入る前の前振りが長いのは彼の作品らしいです。でもその中にちゃんとリチャードがちょっと変わった人、ワトソンもまたうまく世渡りできない人物ということが描かれています。

自分の警備中に起きた爆破事件にプライドと汚名挽回を図るため、単なるプロファイルから第一発見者である主人公を犯人として追及するFBI捜査官、自分の成功のためにどんなことをしてもスクープを狙う女性記者、そして嫌悪感からリチャードを犯人ではないかと通報する大学関係者。イーストウッドが描く人間の闇の部分が描かれます。

ワトソンは敏腕とは感じられませんが、もしかしたら彼と同類であるかもしれないリチャードに正義を見出したのかもしれません。

怖いのは一旦容疑者になると、自分の趣味趣向や生活スタイルがすべて状況証拠として利用されることです。自分が共感するわけではないが興味本位で読んだ本、太っていること、下層生活者であることなど。そして狙いをつけられると犯人として仕立て上げるために違法な手段さえも用いて誘導させられることです。それでも彼はFBIに協力的でした。彼が法執行官という職務に憧れリスペクトしていたからです。彼ほどではなくても、国だから、捜査機関だからと疑念さえ持たない人もいるのではないでしょうか。ここもイーストウッドの理念が描かれているように思いました。

メディアも真実などどうでもよくスクープのために国民の興味を引き付けることにあります。私はある芸能人の一途なファンでしたが、彼らがあることをきっかけにあることないことを書き立てること、事実を捻じ曲げて真実のように書くことをたくさん目にしてきました。だから今でもメディアの報道には気を付けています。例えば情報番組ではコメンテーターがいて、知らず知らずの間に自分の考えでなくコメンテーターの考えを自分のものとして思い込んでいないでしょうか。

最後に彼は捜査対象リストから外され、数年後に真犯人が捕まるのですが、その間に彼と家族が受けた傷は癒しようがないものと思いました。家宅捜査の押収品が返されたとき、リチャードの母ボブはタッパに書かれた数字を手でなぞります。でもそれは消えることはありません。この描写が2人の癒しようのない傷を象徴しているかのようでした。

キャシー・ベイツはやはりうまいですね、サム・ロックウェルは「グリーンマイル」以来久々に見ました。彼もいい役者さんになったんだね。